メニューへジャンプ 本文へジャンプ
鈴鹿回生病院 附属クリニック
Homeへ戻る 患者さんへ 診療科・部門 病院概要 医療関係者の方

本文の開始
広報

Home広報 広報誌「回生ニュース Doctors List」バックナンバー

ドクターズリスト

 

 

岐阜県の恵那(山の中です)
私は医療人ですが、幸いなことにこれまで入院したことはありません。でも、手術は受けたことがあります。それも小学校1年生の夏休みに2回だけで小さな手術でした。近くの耳鼻科でアデノイド摘出術、その数日後に扁桃腺摘出術を局所麻酔でしていただいたのです。最初の手術は何も知らなかったので、おとなしく受けました。しかし、この時の出血と痛さの恐怖で、2回目の扁桃腺の時は、麻酔の噴霧を受けるやいなや、手術してもらう椅子から逃げだし、病院からも脱走しました。看護婦さんと母親が追いかけてきたので、道ばたの電話ボックスに立て籠もりました。二人の説得にもかかわらず、かなり長時間立て籠もった末、おとなしく手術を受ければ帰りに普段は買ってもらえないような高級なアイスクリームを買ってくれるという母親の条件を受け入れ、電話ボックスから出て病院に戻って手術を受けました。結局、買ってもらったアイスはのどの痛みで食べることができなくて、悔しい思いをした記憶が残っています。

私の家系には医師はいません。後にも先にも私だけです。医療関係では母方の祖父が薬剤師でした。そして、中学、高校の頃その祖父から医者か弁護士をめざすように言われていました。恐がりでしたので、人命も犯罪もそれを日常として接することは無理だと思いましたが、二者択一で、医者の方を選びました。

大学6年生の時、臨床実習で各科を順番にまわってみて、消去法で決めたような気がします。動機は不純でしたが、整形外科医になってよかったと思っています。整形外科が患者さんたちの生活の質を守る科であったことやスポーツとの関わりが深い科であったことは大変やりがいがありましたし、今後もさらに必要性が増していく科であると信じています。

趣味は読書、映画鑑賞、スポーツ鑑賞です。

ストレス発散としてテレビ出演しています(写真・2010年から毎週火曜日の18時から19時に三重テレビで生放送されている「とってもワクドキ」という番組にコメンテーターとして月に2回出演しています)。医療関係以外の方と知り合えて、普段と違う自分になれるのでとっても楽しみにしています。→写真
子どもの頃から、負けず嫌いで、変にがんばってしまうので、これからはできるだけ力を抜いて生きていきたいと思っています。温厚になりたいものです。

膝関節疾患を専門にしています。

学生時代はバレーボール部に所属、キャプテンもしました。医学部としてはそこそこのレベルまでは行きました。そのほかクラスでの草野球チーム「ブラックスターズ」のエースでした。市民大会などに出場しましたが、名前に違わず、たぶん未勝利に終わったと記憶しています。そのほか、ギター部や文芸部にも所属していました。文芸部では、短編小説3編だけ書きました。三重大学の医学部に文芸部が絶えてしまってなかったのを、親友が再興したのに協力したのが主な活動でした。当時、調子にのって文芸部再興をいろいろな新聞社に売り込みに行きました。文芸部再興の記事は数社に取り上げてもらったのですが、中には写真を撮りたいという新聞社も出てきてしまいました。われわれ(約5人)には部室もなかったので、2トントラックを借りて自分たちの下宿から机や本棚を、どこのクラブも使っていなかった部室に引っ越しさながら運び込み、1日だけの急ごしらえの文芸部部室を作って「いつもここで活動しているのですよ」と自慢げにしている姿を記者の方に撮っていただいたのでした。そして、撮影後はすぐに元通りに片付けたのですが、なんと翌日その記者の方から、写真がうまく撮れなかったから、もう一度撮らせて欲しいとお願いされてしまいました。大あわてで、トラックを借りるところから同じ作業をもう一度やり直して、記憶にあるかぎり同じ部室を再現しました。記者の方にばれていたのかどうかは永遠の謎ですし、紙面には全員疲れ切った表情の写真が掲載されていたことは言うまでもありません。

ページトップ

ページの終了