認知症を点滴で治療できるようになったのですか?
正確には、認知症の原因の6割程度を占めるアルツハイマー病のうちまだ軽度にとどまっている場合にその進行を少しだけ抑制することのできる薬が「レカネマブ(商品名:レケンビⓇ点滴静注)」です。2週間に1度、1時間の点滴を1年半継続後、認知症評価尺度(Clinical Dementia Rating:CDR)で0.45点分、悪化を抑制しました。この尺度では全く異常なければ0点、すべて重度なら18点ですね。何もしなかったら平均1.66点悪化したのがこの治療を受けると1.21点の悪化にとどまりました。
この違いを皆さんはどうお感じになるでしょうか?
長期間の通院に時間をとられますし高価なお薬ですのであまり意義を感じない方もいらっしゃるかもしれません。さらにその先の長期的な経過はまだはっきりとはわかりません。また右図のように「悪化するスピードを少し抑制する」薬であって「症状を改善する」薬ではありません。つまりこの点滴治療を続けていても症状が徐々に進行するのを止めることはできません。この薬は副作用として脳に出血や浮腫をおこすことがあります。幸い、重篤なものは多くありませんが定期的にMRI撮影を行い慎重に経過観察が必要です。報道などでは「画期的な薬が出た」ということが強調されていますが、確かにアルツハイマー型認知症の原因となるアミロイドベータというタンパク質を除去するというハイテク薬ではあるものの、実際に治療を受けたい方は冷静に効果と危険性や費用をご検討いただく必要があります。
当院では2024年7月よりレカネマブ点滴治療の態勢を整え実施が可能になりました。投与前に症状が軽度であることの確認、安全に治療が実施できるかどうかMRIで脳の状態を詳しく調べること、アミロイドベータが脳に蓄積しているかどうかをアミロイドPETで確認することなどが必要です。
比較的年齢がお若く、まだもの忘れのみでほかにあまり症状がでていない方に最も適していると思います。
そのほかのアルツハイマー病の治療にはどういったものがあるのでしょうか?
レカネマブ(レケンビⓇ)点滴静注以外にいくつか内服薬や貼付薬があり、もうずいぶん前から使用されていますが、これらの薬はレカネマブのように病気の原因に近いところに作用する薬ではなく、病気の進行に伴って起こってくる脳内の変化による症状を改善する薬です。なので進行そのものを抑制する効果はありません。しかし一部の方ではしばらくの間症状が改善することがあり、これはレカネマブにはない効果といえます。残念ながら実感できるような効果を示す方は5~6人に1人くらいで多くはありません。薬はおまけ程度に考えて後に述べるような生活習慣全般の改善を図る必要があります。
認知症を疑ったら早めに受診した方がよいのでしょうか?
たしかにアルツハイマー病であった場合、薬物治療は難しいですが、認知症を疑う症状の原因は必ずしも真の認知症とは限りません。脳血管障害、てんかん、薬物の副作用、真菌や結核、ウイルスなどの感染による髄膜脳炎、うつ病などの精神疾患、腫瘍、水頭症、内科疾患の合併症などがあり、原因によっては治すことができる場合があります。かかりつけがある場合はまずそちらで相談いただき、さらに検査が必要と判断された場合は情報提供書やお薬手帳、血液検査結果などを持参のうえ受診ください。
もの忘れの悪化を遅らせる方法はありますか?
レカネマブの治療対象であるアミロイドベータは、実は症状が出始める20年前に脳への蓄積が始まっていることがわかっており、軽い物忘れが出現した時点ですでに9割方蓄積は完了しています。大量に蓄積したアミロイドベータを薬で無理やり除去するよりもっと早い段階で予防できるとしたらどうでしょうか。実はそのような方法があるのです。それでは薬に頼らずもの忘れの悪化を防ぐ方法をお披露目しましょう。
【食べ物】
食べ物はなるべく加工を控えた緑の野菜をベースに、ナッツ、ベリー、豆、とくに大豆製品、全粒穀物などを基本としましょう。植物のみで蛋白源が物足りない方は魚や鶏肉(家禽)を加えてもよいですが赤身肉、超加工食品、脂質、甘いものはなるべく少なくしてください。緑茶、コーヒー、ブドウ、ビフィズス菌などのプロバイオティクスの有効性も研究データが蓄積されつつあります。しかし今のところ、特定の1つの食品のみ、あるいは2~3種類のサプリメントやこれらばかりをたくさん摂取したりしてもあまりよい結果は出ていません。脳と腸は自律神経やホルモン、炎症物質などを介して関連し、腸内常在菌と神経変性、老化との関連が解明されつつあります。体は食べたものでできていることもお忘れなく。
しかし実は、食べ物だけではなかなかよい結果は得られにくいのです。
【運動】
有酸素運動(歩行30分/日など)、筋力トレーニング(3回/週など)、心身のリラクゼーション療法(瞑想、音楽など1時間/日など)を組み合わせて実践した場合によい結果が出ています。また社会活動への参加がよい効果を生むこともわかっています。エピジェネティクス研究によると食事、運動、ストレスは遺伝子の働き方に影響するそうです。生まれ持った遺伝子は変わらなくても働く遺伝子が変化して別人のように生まれ変われるかもしれません。
【生活習慣】
アミロイドベータなど脳に有害な物質は就寝中に脳からよく除去されるため睡眠不足はアルツハイマー病を含む脳の変性疾患を助長します。十分な睡眠、規則正しい生活は体内時計の正常化をもたらし、ホルモン分泌の適正化に繋がります。例えば抗利尿ホルモンの適正な分泌が起こると、尿量を減少させ、夜中にトイレに起きることが減ります。睡眠を改善し、脳の有害物質を除去し……と好循環を生んでいきます。結局ヒトは「集団生活を営む昼行性動物」ですから昼間は太陽とともに社会活動に参加して集団に何らかの貢献を行い、自然の恵みを享受し、夜はゆっくり睡眠をとることで心身ともに健やかでいられるのです。今の日本なら敵に襲われる心配なく活動し、自由に食べ物を選び、睡眠をとることができます……いや、おいしい加工食品、忙しい仕事や人間関係が手ごわい敵でしょうか。
最後に読者に向けて一言メッセージをお願いします。
体は永遠に生き続けることはできません。なんでも治るわけではありません。でもその限られた中に活路を見出したいと思います。新しい薬は次々と世に出てきますが、よく効く薬ほど高価で副作用の強い場合が多いですから、まずは無理のない範囲でなるべく病気になりにくい日々の過ごし方を考えていきましょう(情報収集&実践)。
インタビュー医師紹介
1999年3月 三重大学医学部卒業後、山田赤十字病院(現 伊勢赤十字病院)、市立伊勢総合病院にて研修を受け紀南病院、松阪市民病院、鈴鹿中央総合病院、松阪中央総合病院、三重大学、三重病院、三重中央医療センターに勤務し2023年1月から現職。
神経領域全般の診療を行ってきました。神経は直接見ることができず到達も難しい場合が多いためどこがどのように壊れていてどのように修復するのがよいかを推定するのは簡単ではありません。地道に調べ、情報を集め、可能な方法を探っていくしかないのです。
専門医:総合内科専門医、神経内科専門医
主な治療疾患
・脳血管疾患(脳梗塞や脳出血など)
・認知症
・てんかん
・頭痛(片頭痛、緊張型頭痛、群発頭痛など)
・神経変性疾患(パーキンソン病、脊髄小脳変性症、筋萎縮性側索硬化症など)
・神経免疫疾患(多発性硬化症、視神経脊髄炎など)
・末梢神経疾患(ギラン・バレー症候群、三叉神経痛など)
・筋疾患(筋ジストロフィー、多発筋炎など)
・神経感染症(髄膜炎、脳炎など)
・脊髄疾患(痙性対麻痺、脊髄炎など)
・不随意運動(手のふるえ、眼瞼や顔面の痙攣など)
※文中に記載の組織名・所属・内容等は、2024年10月時点のものです。